やっぱ意見をみんなで言い合って、どうあるべきか、どうするべきかを考えないといけないのではないかと思った。

率直な感想としては、「この国は、この改革ができないようでどうするのか?!」というところです。 完全赤字の非効率事業を抱えてやっていけるような財務状態ではないのにね。

いろんなニュースやブログを読んでると、①郵便局員の票田を失うわけにはいかない。②解散をちらつかせて譲歩を迫る小泉首相の政治手法が気に入らない。③なんか利権がらみで賛成するわけにはいかないんじゃないの?と、かなり荒っぽいですが、郵政改革反対派の本音の理由はこんなもんじゃないの?とうい世論が形成されつつあると思ってていいですかね。

実際のところどうなんでしょう。この辺のことを、改革反対派の人はきっちり否定できるんでしょうか? 本当に改革されると地方は困るのか?クロネコが「そこはコストがかかりすぎるので配達しません」なんて本当に言うとは思えないのは僕だけ?

なんとなくこの前テレビを見ていたら、阿部寛が「お前ら東大にいけ!」と叫んでいたので、何かと思ったら東大を目指す受験ドラマのようです。原作はマンガ。

「なんのために受験勉強するのか」ということは、多くの人が受験生だったころに一度は考えたことのあるテーマなんじゃないでしょうか。 自分なりの意味づけをしたり、割り切ったり、ゲーム感覚で楽しんだりと各自取組み方は様々だったと思います。

「希望格差社会」によると、日本は大学新卒が最初にして最大の就職のチャンスとなっているので、大学の偏差値が高ければ高いほど選択肢が増えることになります。最近では転職市場も昔よりは拡大しているようですが、依然として事実でしょうね。

「偏差値で人を判断するな!」という主張はこの事実に対する反発から生まれてくるものだと思っています。特にその主張が叫ばれるのが就職活動時ですね。採用面談でチェックしたい主なポイントに「過去の実績」というものがあります。大学新卒の方にそんなものがあるわけがないので、体育会のキャプテンだったとか、高い偏差値の大学であるとか、難易度の高い資格を持っているなどの「実績」で他の学生と差別化に成功している学生が有利になります。偏差値の高い大学の体育会のキャプテンで、TOIEC900点以上とか持ってたら、面談でイタイ人を演じない限り、どこからでも内定もらえると思います。

まぁ社会に出てしまえば、転職を繰り返して実績を積み上げていき、どこかのベンチャー企業で一発当てればニューリッチ族の仲間入りみたいなコースもありますが、それこそまさに「人生をかけた真剣勝負」ですよね。それに比べれば大学受験なんて、参考書買って黙々とやってりゃいいだけだもんなぁと今になって思います。一部の天才を除いて、偏差値は勉強量に比例するので。

「なんで受験勉強がんばらないの?! もったいない!!!」ってのは言いすぎですけどね(笑)



ひとりで3併殺とは、いったい君に何があったんだ?!

まさか野村監督に日経新聞で名指しでダメだしされてショックを受けてるのか?

http://www.sankei.co.jp/news/050629/sha066.htm


所詮ギャグ漫画で、内容もあんたに全然関係ないんだからいちいちクレームつけんなYO、とか思ってしまうのは権利を主張しない日本人だからなのか、ただの他人事だからか。

「担当者がおらずコメントできない」という容赦ないスルーがグッド。